昌子源さんは現在25歳で、これからの日本サッカー界を引っ張っていくディフェンダーだという声もある選手です!
昌子源さんはお父さんが大学のサッカー部の監督を務めており、小さいときからサッカーには親しみがあったようですが、中学生のころに怪我をして影響で、しばらくサッカーをいなく空白期間もあったとのことです。
現在活躍しているサッカー選手は小学生からずっとサッカー一筋!という人が多い印象ですが、昌子源さんはそうではないみたいですね。
昌子源さんがどんな学生時代を送っていたのか、今回はそんなところについて調査していきたいと思います。
昌子源の高校時代は?
昌子源さんは兵庫県神戸市のご出身で、父親である昌子力さんは姫路獨協大学サッカー部の監督をされています。
おそらく小さなころからサッカーボールに触れたり、試合を見に行ったりしていたのではないでしょうか?
昌子源さんが本格的にサッカーを始めたのは小学生のころで、このころはポジションがフォワードだったそうです。
中学生のことには、ガンバ大阪のジュニアユースに入団して、サッカーを続けるのですが、中学2年生の時に膝を負傷してしまい、満足にプレーできない日々が続いたそうです。
そんなこともあり昌子源さんは中学3年生の時にガンバ大阪のジュニアユースを退団してしまいます。
ここからしばらくサッカーをしない期間が続き、昌子源さんはこの時点では高校でサッカーやるつもりはありませんでした。
そんなときにお父さんの昌子力さんのアシスタントをしていた、鳥取県の米子北高校サッカー部のコーチである中村真吾さんという方から誘いを受けて、米子北高校サッカー部の練習に参加します。
それがきっかけで昌子源さんはまたサッカーをやろうと決め、兵庫県から鳥取県の米子北高校への進学を決めました。
当初は大型フォワードとして期待されて入部したのですが、思うように結果が出なかったそうです。
そんな中試合に出場していたセンターバックが負傷退場。昌子源さんは急遽かわりに出場するように指示されます。
そこでDFとして堂々とプレーし、監督はセンターバックへのコンバート(ポジションを変えること)を決めました。
ですがフォワード一筋でやってきた昌子源さんにとってこの決断は本当に嫌だったそうですね。
「最初は本当に嫌だった。FWをやらせてくれよとずっと思っていた。でも、監督やコーチからは『絶対にFWはやらせない』と言われて、高校2年にあがる時には、CBを真剣にやらないと試合に出られなくなると思って、取り組むようになった」
しかし昌子源さんはこの選択がきっかけで日本代表にまで上り詰めたのですから、監督も見る目が合ったと思います。
そしてなんといっても昌子源さんの決断と、努力と練習の積み重ねが今の結果につながっているのは間違いありません。
今まで自分がやってきたことをいきなり変えるのは勇気がいりますが、昌子源さんは高校生にしてそんな経験をしていたのですね!
昌子源の出身中学や小学校はどこ?
高校生で兵庫県から鳥取県の高校に進学した昌子源さんですが、小学校と中学校はどこに通っていたのでしょうか?
昌子源さんは小学生のころから本格的にサッカーを始め、そのころから地元神戸のサッカーチーム「フレスカ神戸」でプレーしていたこともあり、出身小学校についての情報は出てきませんでした。
中学生の時も同様にガンバ大阪のジュニアユースに入団しているので、通っている中学校のサッカー部には所属していなかったのでしょうね。
ちなみにフレスカ神戸は地元では強豪チームだったみたいですよ。
小さいときから昌子源さんは上手な人達と一緒にサッカーをしていたのでしょうね。
お父さんもサッカー部の監督ですし、毎日サッカー漬けの日々を送っていたのだと想像できます。
昌子源のかっこいい画像!
昌子源さんは182cmの高身長をがっしりとした体格をお持ちで、プレーもさることながらそのワイルドなビジュアルも人気です!
ジャニーズ系のイケメンではありませんが、闘志の感じられる男らしい表情をかっこいいと思う女性も多いようです。



個人的には体のバランスが素晴らしいなぁというのと、眉毛がきれいだなぁという印象です。
今後日本代表としてどんどん活躍していくにつれ、もっともっとファンが増えそうですね!!
まとめ
今回は鹿島アントラーズの若きディフェンスリーダー、昌子源さんについて紹介しました。
怪我やポジションの変更などさまざまな苦労を乗り越えてきた昌子源さんですから、今後もきっと誠実に努力を積み重ねて、活躍してくれると思います!
ロシアワールドカップを始め、これからの昌子源さんに期待しています!
今回も、最後までお読みいただきありがとうございました★